5月の日記

●5月の花にハナミズキを選びました。朱モクレンが咲き終わる頃、入れ替わりに咲きます。

 ハナミズキ=ミズキ科 / 落葉高木 / アメリカ原産

 アメリカヤマボウシとも呼ばれる。日本からワシントンに贈られたソメイヨシノの返礼として贈られた。近年は園芸品種も多く作られ、花色も白からピンク、赤に近いものまで様々。  初夏に樹冠いっぱいに咲く花や、美しい秋の実と紅葉など、1年を通して楽しめ、一般家庭でも多く植えられる。
【HP「j樹木図鑑」から引用】

【祭りの植木市で千円で買った30cmのハナミズキが
2m以上になりました=4月23日撮影】

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●5月31日(木)雑記

 このHPも3年目に入り、毎日、更新しています。これだけのアクセスがあるということは、リピーターが大半であろうと想像しています。日記ですから、読む人をあまり意識せず、とにかく私的な実体験を中心に書いています。

 自分でも思うのですが、だんだん自分の健康のことを考えることが多くなります。人間ドッグでは糖尿予備軍で運動しなさいということぐらいしか、指摘を受けていないのですが・・・。
 運動については、腹筋、腕立て伏せを10数年、毎朝していますが、最近は複式呼吸を始めました。晩酌のビールも極力減らし、お酒は外出の時に飲むことに切り替えつつあります。あとは、散歩と山登りです。今年に入って、登山が増えました。6月もいくつか計画しています。

 5月最後の日記です。6月は新しいページを立ち上げ、続けます。ご愛読、よろしくお願いします。ご意見も送ってください。

●5月30日(水)販売店の竣工式

 この日、先輩と共通の知人から新聞販売店の竣工式に招かれ出かけました。朝の7時、新大阪駅で待ち合わせ、名古屋までのぞみに乗りました。名古屋から名鉄・特急で約30分、最寄の駅で知人の息子さんがクルマで迎えにきてくれました。

 この新聞店は中日新聞の有力販売店です。少子高齢化、活字離れなど、マーケットが縮小するなかで、販売店が本店の竣工式をして、お披露目するなど、いまでは珍しいことです。要は勝ち組の販売店に成長、今後も周辺の人口増が期待できるから、思い切った投資ができたのだと思います。
 新社屋で神事を行ったあと、中部国際空港のなかのホテルでパーティーです。約150名ほど、新聞社の販売関係の幹部をはじめ、地元の組長などです。われわれは特別の友人という扱いで、神事では玉串を奉げました。

 帰りは空港から特急「鵜沼」に乗って、名古屋に出ました。社中、先輩といろいろ話しましたが、政治に関しては「それぞれ業界、農協、漁協など経済団体、建設業など、あらゆる利害得失にかかわる個人、団体と政党が組んで、いまの政治を動かしているに過ぎない。多くの無党派といわれる連中は、選挙にも行かないなど、無関心でいる。この無党派層が本当に怒るとき、日本に革命的な変化が起こるだろう」ということで、意見が一致しました。年金問題ではその起爆剤になるとは思われません。自民党も爆発しないよう、かじをうまくとると思われます。


●5月29日(火)漢字ばかりの社名では・・・

 久しぶりに、中小企業のトップをインタビュー、取材した。ある団体の季刊誌に掲載するためで、今後、年に10社程度、取材することになる。
 今回の企業は、長男の社長が急死したため、次男の現社長が2年前に引き継いだ。実父が会長としていることもあって、事業継承はうまくいっているようだ。

 現社長が社名変更を実施したが、その理由をたずねると、「漢字ばかりの社名では、得意先のハイテク企業の若い技術者から、本当に先端の技術開発をしているのかと、イメージできません」と、いわれたのがきっかけだそうだ。ようやく、新社名も浸透しているという。
 銀行や証券といった社名も、かなり変わってきた時代である。事業内容と社名が一致しないので、社名変更する企業は以前からあるが、オールドテクノロジーのイメージから脱却したいのが理由だというのも時代の流れであろう。

 社内に顧客満足委員会と同様、社員満足委員会をつくって、社員の思いを集約して経営に生かそうとしている。「給与の不満はでませんか」と聞くと、「給与は不満がでません。ボーナスが平均100万円、年2回出していますので・・・」と、ガラス張り経営で、儲かった分をきっちり配分しているという。

 夕方、TV局のディレクターと、彼がつくった「映像’07 高次脳障害者の苦悩」について話しあった。その後、メールをもらった。
 「昨日は、楽しい時間を有難うございました。岡田さんのHP拝見しました。ご丁寧な文章に感激しました。きのうも話しましたが、コンニチ的テーマを取り上げたいと願っても、協力いただける方が居られないと
番組は、成立いたしません。

 昨今、個人情報の歪んだ理解もあり取材は、益々困難を増しています。相反する取材でもないのに
相手とトラブルになったり、言いがかりを付けられたり、正直言って、疲れるときもしばしばです。

 権力に立ち向かって疲れるのもさることながら同じ側に立っていると思う方々とのやりとりにも無駄に精力を使うことのむなしさは相当なものです。

 ある意味、テレビが庶民の味方、と単純化される時代は終わったのかなと悲しくもなります。マスメディアの姿勢が問われているようにも思います。

 長くなりましたが、また、お会いできるのを楽しみにしています。」





●5月28日(月)金剛山へ登る

 27日は黄砂で見通しが悪かったようですが、28日はすばらしい眺望を満喫できました。ただ、ヤマシャクヤクは10日前に咲き終わっていました。黄色のヤマブキソウ、アオダモの白い花、ヤマツツジは見ごろでした。転法輪寺の近くにクリンソウ、ハナカイドウ、ヤエサクラが咲いていました。

【ミュージアムの前から見た大峰連峰】

 ロープウエイの千早駅駐車場にクルマを止め、行きは金剛山駅までロープウエイで行きました。「ちはや星と自然のミュージアム」で担当者が鳥の名前や特徴などいろいろ教えてくれました。一歩、外に出ると、ホトトギスが「特許許可局」と美しい声を聞かせてくれました。クロツグミは森の歌い手といわれるだけに、これまた美声を放っていました。ウグイスも負けていません。野鳥の合唱です。

 屋上では天体望遠鏡をのぞかせてくれました。担当の若い女性に恥を忍んで、「夕焼けの太陽だけが赤く美しいのはなぜですか?」と、ずっと、不思議に思っていたことを聞きました。「夕方の太陽の位置とその光が通ってくる空気の層の厚さとそれに含まれる成分が昼間とは違うからです。オーロラも南極で見るのと、北海道で見るのでは色が違うのと同じですね」と、解説してくれました。

 香楠荘で昼食をとったあと、展望台からブナ林、葛木神社を経て、転法輪寺まで歩きました。そこでクロツグミの巣を見つけ、メスのクロツグミを撮りましたが、レンズが18mm〜70mmのズームではどうしょうもありませんでした。拡大してもよく分かりませんが、たぶんクロツグミだと思っています。

【巣から出てきたクロツグミ♀?】

 金剛山は平日でもかなりの登山客がいました。1万回以上登っている平野某さんは、神社の工事を担当している人で、仕事に入るまえに認証印を押してもらうので、最高の回数を誇っていますと、80歳を超える老人(とても、そんなお年にはみえませんが・・・)が教えてくれました。その老人は3,000回以上にランクされています。「1,000回はヒヨコ、それ以下の人はタマゴです」と、解説してくれます。
 いずれにしても、回数目標によって、いつまでも元気でいられるというご利益があるのです。その話を聞いていると、頂上にいるタカマロという目がきれいな犬が親しい登山客に尾を振って近寄ってきました。

【脚を傷めているタカマロ】

 帰りに千早城跡地から見られる棚田100選の一つになっている棚田を撮りに立ち寄りました。 今度はフィールドスコープを持ち込んで本格的に野鳥を撮りたいと思いました。

【棚田100選の千早の棚田】

●5月27日(日)蔵衛門を学ぶ

 今日は、月に1度のPCクラブの勉強会でした。蔵衛門と聞いて、何か分かる人は、私からすればたいしたPC通です。私は知りませんでした。

 ヤフー検索で「蔵衛門 梅」と入力すれば、ダウンロードの画面がでます。要は、アルバムを整理するソフトです。これによって、たくさんある写真の整理ができます。興味ある方はやってみてください。割と簡単です。ただ、本番には購入(約6,000円)した方がいいようです。私も試して使い勝手がよければ、購入したいと思いました。

 知人から室生寺の写真を送ってきました。シャクナゲは終わっていたので、人出も少なかったようです。

【室生寺の五重之塔】

●5月26日(土)上高地の野鳥

 昨日とうってかわって、五月晴れである。枚岡公園で約1時間、フィールドスコープで野鳥を待ったが、収穫はゼロである。ムクドリは近くで見たが、撮る気も起こらない。

 先日、久しぶりに堀氏から野鳥の写真が届いた。フットワークがいいので、いつもいい写真を見せてもらえる。
 「岡田 様
 先週末に上高地へ行ってきました。初日は雨のち曇り、2日目は朝まで雨が降り僅かな晴れ間その後雷雨。とことん雨でした。 やはり雨ですと魅力半減てす。目にした野鳥を撮りました。 カミサンと四つの眼で。
 数多くのキセキレイの飛び交う様子は壮観です。小川のほとりでルリビタキやアオジが出たり入ったり。
この暗がりではオシドリ♂♀。 笹薮でのウグイス。残念な事にオオルリ、コマドリは囀りだけで撮れませんでした。前回、後姿しか撮れなかったゴジュウカラが撮れたのはヒットでした。キビタキは今回は後姿だけ。 キクイタダキとコマドリをと期待してましたが・・・・。
 写真はゴジュウカラ、カケス、キセキレイ、ウグイス、オシドリを送ります。」

 ※シジュウカラは知っていたが、ゴジュウカラは初めて聞く名前である。下向きの独特のとまり方をすると、野鳥の本にある。

【ゴジュウカラ:堀氏撮影】

●5月25日(金)神戸大学海事科学部訪問

 この日、梅雨時のような雨でしたが、阪神、深江にある神戸大学海事科学部を訪問しました。これは旧神戸商船大学が神戸大学と統合して、この名称になったそうです。海事科学部ではピンとこないという声も多いようです。
 ここの附属練習船「深江丸」の見学会に参加しました。船内を船長の説明付で見学できました。いまは船乗りになる学生も少なくなったそうです。学生の1割が女性で、寝室とトイレ以外は同じ扱いです。
 神戸商船大学時代は、航海科、機関科があり、船舶を運行する技術を身につける教育、訓練をしていました。私はかつて帆船・海王丸で遠洋航海する海の男にあこがれたこともありました。

 
【深江丸と針路計】

 いまは海洋技術マネジメント学課程、海上輸送システム学課程、マリン・エンジニアリング課程の3課程があります。この学部は理系です。このあと、キャンパス内にある海事博物館を見学しました。学生は26日〜27日の学園祭の準備を雨の中でやっていました。学園祭に行けば、深江丸の一般見学も可能だと思います。

 夕方、旧友2人と元町の小料理店で一献傾けました。そのうちの1人は6年前、肺がんの手術をしました。その後、毎年2回、秋田県のラジウム岩盤浴で治療しているそうです。湯治場でその旅館には全国からやってくるそうで、かなり先まで予約でいっぱいだそうです。1〜2ヶ月の長期滞在ですから費用も相当かかるようです。
 一時は頭髪も抜け落ちていましたが、いまは元に戻り、お酒も堪能していました。


●5月24日(木)カメラの故障

 横山岳登山でニコンのデジタル一眼レフのズームレンズを岩に当てて、壊した。レンズは無傷であったので、修理が可能だと判断した。保証書をみると、この6月までの1年間とあった。ラッキーだと思い、購入先の量販店B社のなんば支店のカメラ売り場に出かけた。
 「レンズが壊れたのですが・・・。保証書はあります。」
 「ギリギリですね。」
 修理の窓口は別なところにあって、案内してくれた。移動の間に確認したところによると、保証というのは、普通に扱っていて機能不全になった場合で、要は使用書に書いてあることがダメになったら、修理しますということだと説明する。
 「それでは損保と同様、保証書はあってないようなものですね。」
 「まあ、そうですね。」
 「おたくは大手量販店だからメーカーに強く言える立場でしょう。」
 「そうですね。」
 「私もおたくから購入しているのは、その力を信用しているからです。」
 「そうでしょうね。」
 修理の係りの人に、自ら説明してくれた。修理係りの人は、しばらくレンズをいじっていたが、そのうち元通りにしたのである。これで、いいだろうと思ったが、カメラの担当者は「一度、メーカーにみてもらった方がいいですよ。焦点がきっちり合うかどうかなど、テストされたらいい。」と、アドバイスを受けた。恐らく、料金もほとんどかからないとまで、言った。

 保証書というのは、メーカーが保証するということだから、購入店がどこでも同じだという。2週間程度はかかるが、一応、レンズは助かった。
 レンズはボデイとともに衝撃を受けているから、ボデイも心配である。ボデイはY店で購入したから、B社では頼めない。近くにニコンのサービス店があるので、そちらで故障していないかどうか、チェックをしてもらった。
 この保証期間は5年延長型に入っていたので、チェックだけなら無料である。ついでに、レンズの取り外しを何回もしているので、ごみが混入している可能性が大であると思い、ロータスの清掃を頼んだ。これには1000円かかる。
 1時間後、取りに行くと「まず、大丈夫です」と、チェック結果を教えてくれた。以前、戸隠でフィールドスコ−プを三脚ごと沼に落とし、修理代が高くついた悪夢がよみがえったが、今回は心配するほどのこともなかった。
 デジカメは衝撃に弱いという。ちょっとした衝撃でも電子回路に支障が出ると聞いた。ただ、ニコンは重たいが、ボデイは頑丈である。



5月23日(水)横山岳登山日記U(松井選手も愛する清泉閣に泊まる)

JR木之本駅のすぐそばに清泉閣という温泉旅館がある。インターネットで見つけ、予約しておいた。写真で見る建物より見劣りがする。主人が迎えに出てくれるというより、この日は一人でなにもかもやっていた。

大丈夫かなと不安がよぎる。部屋に入ると、小奇麗な雰囲気にひとまず安心する。風呂は天然石温泉というように、温泉である。カギをフロントで受け取って個室の風呂に入る。驚いたのは洗い椅子がなく、代わりにタタミが敷いてある。タタミ敷きの温泉が売り物となっている。いい湯であった。

夕食は名物の五銚子鍋である。食材はブタしゃぶ、トリミンチ、白菜、水菜、青ねぎ、キノコがてんこもりに出てくる。ごはんとラーメンもついている。このほかに刺身の大皿もついている。

「味とボリュームは天下一品、仕上げのラーメン、これまたうまい」と、スポーツ新聞に紹介されていた。「女将が体調を崩し、失礼します」と、主人が出てきて話をしてくれた。
 「ヤンキースの松井秀喜がオフには毎年、この五銚子鍋を食べにきます」と、言う。「きっかけは、石川、福井、滋賀、名古屋の野球チームの親善試合がここ木之本で行われたことです。木之本にすばらしい球場があって、周辺のチームが集まるには便利なのです。松井選手が石川・星陵高校のとき、やってきましたが、石川のチームだけは泊まり、他のチームは日帰りでした。」

「それ以来、松井は五銚子鍋と温泉を求めてやってきます。この温泉で疲れが完全にとれるというのです。今年は兄さんの結婚式があったので、帰国しても来られませんでしたが、例年、必ず来ます。」

元野球選手だった三代目の主人は体格もいい。ただ、松井選手で大々的にPRもしておらず、旅館に着いて、部屋の案内書に新聞記事などを紹介している程度である。
「池田高校の蔦監督も来られたこともあります」

満足する宿であった。帰路は一般路で途中、道の駅などに立ち寄りながら帰った。琵琶湖で撮ったサギが美しかった。
【琵琶湖で撮ったサギ】

 5月22日(火)横山岳登山日記T

 ヤマシャクヤクを求めて横山岳(1132m)へ初めて登った。中級者向きとあったが、実際の感じは中の上であった。急勾配の連続で、ロープが設けられている。途中で何回も休みながらバテ気味の登山となった。しかも、ヤマシャクヤクは1周間前に終わっていた。さらにニコンレンズを岩にあて、使用不能になる始末。

 横山岳の山頂(西峰)から東峰まで尾根伝いに歩き下山したが、ブナの林がこれほど気品に満ちたすばらしいことをはじめて知った。これだけでも収穫があった。また、タニウツギの花が新緑に映え、癒された。

【ブナ林は清楚で幻想的な世界である】

 この日の登山は、天候をにらんで選んだ。朝615分、自宅を出て、名神で米原から北陸道の木之本ICで降りた。名神が春日井まで1車線工事中で、渋滞が続いたが、最低60kmで走れたので、一般路よりは早く到着できた。

 木之本ICから303号線を金居原に向けて走り、杉野郵便局で左の道を白谷まで行った。そこには駐車場があり、この日は私の車を含めて4台が駐車していた。プレートを見ると、福井、岐阜、三重、大阪とそれぞれ異なった地域から来ていた。福井は男女2人、岐阜・大垣からはシニア男性1人と柴犬コロ、三重・四日市からシニア男性2人で、われわれ2人と合わせて計7人、それに地元の登山「杉の会」のメンバー男性1人の合計8人が登った。正確にはそれぞれバラバラに登ったが、全員と会話したのである。

 平日であるためか、少ない。マイカーがないと、木之本駅からのバス利用では不便で来られないだろうと推測する。ちょうど午前9時過ぎ駐車場に着くと、間もなく三重・四日市からシニア男性2人のクルマが到着した。(花が咲く頃は、かなりの登山客があるという)

 「この山はよくご存知ですか」と声をかけた。メンバーの1人は2回目で、もう一人は初めてだという。自宅から2時間半で着いたそうだ。途中まで一緒に登った。彼らはよく休憩をとり、持参の飴やドーナツを気前よくくれる。聞くところによると、自宅から御在所岳が近いのでよく登っているという。伊吹山も奥伊吹がいいと教えてくれる。

 白谷登山口から登った。横山岳は3コースあるが、白谷登山口から経の滝を経て五銚子の滝のコースが一番人気である。ただ、白谷登山口からしばらく登ると、林道に出る。すると、横山岳は左という標識があるが、初めての者には下り坂なので、不安になるが、200mほど行くと、登山口がある。

 ここからが本番である。まず、福井の男女2人組が行った。夫婦にしては女性が若い。娘と父のようでもある。頂上で話をした。周辺の山をよく登っているという。1週間前には女性が登ったという。その時はヤマシャクヤクが満開だったそうだ。男性は寡黙の人で、今回、はじめて登ったそうだ。

 林道で 出会った地元の男性は、山麓の杉野に自宅があって滋賀のヤンマーでトラクターやゴルフカートの整備工として全国を飛び回っているという。横山岳にはこれまで100回ほど登っているそうだ。夏場、登山の会のメンバーが3回、登山道の草刈をしている。そうでないと、歩けないほど草が茂るそうだ。

 私たちが東大阪市から来たと話したら、この人の奥さんが「東大阪市の高井田で、年に数回行きます」と、親しみを覚えた。山開きのこと、仕事の話など、よく話す。「本来、白谷登山口からここまで真っ直ぐ登れたのですが、工事のため林道をつくったのです。これが景観をダメにしています」と、言う。

 登山口でツバメにしては蝶のような飛び方をする鳥が、土肌のでた山に急降下してとまる。土を運んでいるのだろうか。
【土を掘るイワツバメ】

 「これ、岩ツバメですね。わたしも初めて見ました」と、100回も登っているベテランが言うものだから、珍しいかもしれない。

 彼は午後3時半に下山しなければならないというので、先に行ってもらった。途中で会うことはなかった。われわれは四日市の二人組みと抜きつ、抜かれつしながら登った。この山は日頃、登っている生駒山の3倍はきつい。頂上へは10分ほど早くわれわれが着いた。すでに、福井の二人組みが弁当を食べ終えていた。

 「あのハシゴを登ると、白山が見えます」というので、頂上に建つ小屋に立てかけてあるアルミのハシゴに登って遠くを見た。この日は雲がかかり、手前の連山が見えただけであった。すばらしい眺望である。

【この日、白山は見えなかったが・・・】

 しばらくすると、四日市の二人組みが登ってきて、弁当を広げた。お返しにゴマとチーズでまるめたパン風の菓子5個を差し上げた。喜んでくれた。

 次に大垣からきた老人がきっちり山スタイルをきめ、柴犬コロと登ってきた。「2回目ですが、犬の方が元気です(3歳犬)」と、笑う。「この犬は純粋の柴犬です」と、自慢顔をのぞかせた。犬に専用の容器で水をやると、尾根に向かい、そこで弁当を広げていた。インスタントコーヒーの湯を携帯コンロで沸かしていた。

【主人と一緒に登ってきた柴犬コロ】

 われわれ二人はペットボトルのお茶が頂上に着くまでに空になっていたのとは、大違いである。犬と別れて、ブナ林を通って下山した。道は落ち葉が踏み固められ歩きやすいが、距離が長く、結構、疲れる。

 途中で福井の二人連れに会った。「うちの者が足を痛めました」と、先に行くようにすすめた。東峰登山口まで降りると林道に「白谷駐車場」の標識が目に入る。いよいよ終着点である。この林道も2kmと結構、長い。

 駐車場に着くと、少し遅れて福井組が来た。「これから大阪へ帰られるのですか?」と、寡黙の男性が聞いた。「この看板の旅館に泊まります」と、駐車場に建っている案内広告棟を指さした。すかさず、女性が「明日も山登りできますね」と、皮肉ぽく笑う。

 福井のクルマが出発、見送った。しばらく四日市の二人組みを待ったが、来ないので先に出た。

●5月21日(月)写真の面白さ

写真というのは、記念や報道用に撮るならその時々に撮ればいい。ところが芸術写真、少なくともコンテストに出すとなれば、そうはいかない。
 ある雑誌に土門挙の門下生の写真家が西芳寺に数え切れないほど通って、ようやく光に輝く庭が撮れたと書いていた。

確かに時間が微妙に影響する。季節によっても変わる。その美しい一瞬を捉えるには、何回も被写体と向き合わないと、いい写真は撮れない。

枚岡神社でコンテストに出す写真を早朝から出かけて撮っている。早朝でもお参りに人がやって来るので、その人たちの邪魔をしないように気をつけなければならない。神社で掃除をする神主と顔見知りになり、「こんど写真をみせてください」と、頼まれた。そのくらいのサービスはしなければなるまい。

コンテストの締め切りが迫っているので、今回で切り上げた。結果が楽しみだ。写真コンテスト(住んでいる市の観光協会主催)で市長賞(賞金20万円)を得た知人の女性は「ただ、黙々と歩くだけでなく、たえず題材を探しながら歩くと、楽しくてしかたがない」というように、写真を趣味にしていると、風景や街を見る目が違ってくる。ここに写真の面白さがある。




●5月20日(日)花博記念公園

 朝食後、すぐ生駒・額田展望台(生駒山の3分の1)まで登った。来週、横山岳(1132m)に初めて登るため、地ならしのつもりで、しばらく休んでいた山登りを再開した。横山岳は滋賀・木之本にある名山で、5月20日に山開きするという。
 しばらくぶりだったが、生駒への山登りは軽快だった。横山岳は中級者向きのコースで、かなり急な登りがある。少し、不安だがなんとか登れると思う。

 午後からすばらしい天気に誘われて、花博記念公園(鶴見緑地)に出かけた。この公園は無料のためか、多くの家族、シニア、若者が訪れていた。カラオケを持ち込んで美声を披露するグループ、写真学校の学生がモデル撮影など、それぞれ楽しんでいた。

 この公園は犬の持込ができるので、犬連れの人も多い。かつての海外のパビリオン(国際の森)も看板と一部建物が残っているだけで、花はほとんど見られない。

 花博が終わって、この公園が開放されたことは、よかった。平和な日本をみんなが楽しんでいる。



●5月19日(土)舞妓のアルバイト

 知人が舞妓撮影会の写真を送ってきた。参加費は会員3,000円、非会員8,000円で約40人の参加人数だという。仮に会員が半数として、収入は15,6万円である。2時間で舞妓2人分の収入が推測できる。
 そうすると、2時間のアルバイト代1人約8万円、手取りは分からないが、さすが京都の舞妓のアルバイト料金は高い。


【大勢のカメラマンのなかで絶えず動く舞妓撮影は大変なようだ】

●5月18日(金)フラッシュメモリ

 デジカメ一眼レフ「ニコン70」を使っているが、それにフラッシュメモリ(SunDisk ultraU2・0GB)を装着している。ところが、撮影枚数が1.2と、故障しているかのような数字が出る。
 購入店の領収書を捜して、カメラともども持参して、店員に見てもらった。大型店のため、売り場がメモリ1F,カメラ2Fと分かれている。カメラのレジに持って行った。店員はメモリの担当者に電話で聞いている。

 「フォーマットしてよろしいか?」と言って、操作をする。「Rの表示が出るのが分からない」という。D70の機種に2・0GBの容量が使えないのではないかともいう。要は分からないのである。

 店員は1Fの売り場に行って、新しいメモリーを持ってきて試すが、同じである。カメラが故障していないことは、容量が少ない512MBならうまく撮れるので確認できている。

 店員はD70の説明書を持ってきて、「1.2の表示の右上にkとあるのは、1,200枚撮影できるということです」と、ようやく問題が解決、ホッとしている。画質がnormalになっていたので、fineにすると、520枚の表示が出た。

 領収書を持参すれば、とにかく一生懸命、対応してくれる。閉店時間が過ぎていたが、誠意を感じ、今後もこの店で買う気になった。


●5月17日(木)「映像’07」を観る

 先にTV局のデイレクターをしている友人から感想を求められていた「映像’07 高次脳障害者の苦悩」を観た。

 ヘルペス脳炎で結婚後、記憶を失った夫、交通事故で感情障害となった女子大学生が取り上げられていた。全国に約30万人、同様の障害者がいるという。

 患者本人はもとより、家族やサポートする人の大変さを思う。夫を見捨てない妻を見ていて、なにかホッとするものを感じた。

 また、交通事故を起した運転手と裁判してまで、脳障害による消失を認めてもらわなければならない家族の戦いに、せつない思いを抱く。

 脳障害は目に見えないだけに、関係者や周囲の人がいかに理解するかが肝要であるが、結局、それは家族が背負うことになる悲しい現実がある。こういう日本を見せられると、とても美しい日本とは程遠い。

 それにしても民放がこの種の番組を制作する労を評価するが、放映時間帯が深夜である点にこそ、むなしさを覚える。視聴率をかせげない番組だから、仕方ないのかもしれないが・・・。



●5月16日(水)糖質ゼロ

 ある日、TV広告を見ていると、スタイルフリー「糖質ゼロ」の発泡酒を発売するとあった。さっそく、スーパーの酒売り場をのぞくと、大々的に売っていた。
 糖尿予備軍は、いつも糖分のとり過ぎを気にしている。人間ドッグの指導でも、酒を飲み過ぎないようにという注意をかならず受ける。

 現役のころに比べて酒に弱くなったことに加え、話し相手がいないと、そう飲めない。それでも毎晩、缶ビール1〜2本は飲む。ドラフトONEから糖質ゼロに切り替えたが、安心して酒量が増えてしまう。果たして、このビールの効果があるのかは、次の検査でわかるはずだ。


 
5月15日(火)直島日記2

【海岸の前に建つレストラン・テラス】

 大阪から直島へ行くには、JRで岡山から宇野駅に出る。まず、岡山駅でJR快速マリンライナーに乗り、茶屋町でJR宇野線に乗り換える。所用時間は約1時間。宇野駅の前が宇野港で、そこからフェリーに乗船する。

 この日は月曜日だから美術館などほとんどの施設が休館日である。そのため、観光客も少ないと思われる。私は天候優先でこの日を選んだ。もう一つは宿泊場所のベネッセハウスの部屋数が限られているため、予約でかなり先まで埋まっている。幸い、この日は、目的の部屋は空いていた。外人客は2,3組いた。

 ベネッセハウスは安藤忠雄設計の宿泊棟が3箇所に建っている。ハウス、庭園、海、ミュージアム等、全てが作品になっている。庭園にはニキ・ド・サンファール「腰掛」をははじめ、相間美生の「南瓜」などの作品が展示されている。

 景色がすばらしい。静かな瀬戸内海、ゆっくり航行する大小さまざまな船、優しい風、空間に舞う小鳥やさえずりの声、かわいい花、水のせせらぎ、どれもがゆったりと時間の経過の中で流れる。何か、別世界にいるような感じだ。

 宿泊棟はパーク、ビーチ、およびオバールと名付けられており、前の二棟は木造建築である。私が泊まったのはパークで、この中では比較的安い料金である。ちょうど、1周年を迎えるところで、部屋も新しい。調度品、部屋の雰囲気は申し分ない。

 部屋はもとより、ラウンジにもTVがない。いまどきTVのない空間を見つけるのが難しいくらいだが、「非日常性を楽しんでいただいています」と、ホテルの人は解説してくれた。

 普通、どこのホテルでも民家が見えるが、窓から見える視界の中には皆無である。備え付けのCD盤はクラシック・ベスト10が、雰囲気を盛り上げてくれる。

相間美生の作品「南瓜」がこの風景に似合う】

 夕食もオプションでミュージアムに併設されているレストランで食べる。6組のカップルが予約をしていた。せいぜい、10組ほどの席しかない。料理もまずまずといったところだ。

1日目はベネッセアートエリアと隣接の町営つつじ荘まで散歩した。ここにはパオが10張りおよび和室4室があって、こちらもほとんど予約で埋まっている。料金はベネッセの一番低価格の10分の1の安さである。

 ベネッセハウスは贅沢な空間が売り物である。滞在すれば心は洗われる。このコンセプトが都会の喧騒や多忙な生活から逃れたい人々を引き付けているのだろう。だから、客は結構、若い人も来ている。

 二日目は、地中美術館へ行った。ここの開園が午前10時である。朝日を見るため、5時に起きて、小高い山超えをして釣り公園に出かけた。ところが、7時にならないと、門が開かない。それまで待つと、朝日を見れない。仕方ないから、金網越しに撮影した。

 7時半から朝食を食べ、ホテルのバスで地中美術館へ向った。地中とは文字通り地中のなかに美術館がある。
ここではカメラも入り口で預けなければならない。

 「地中海と関係があるの?」と、何も知らない私は恥ずかしさを忘れて館の説明員に聞いた。「実は、私もはじめはそう、思いました。地中海のような風景が見られるのかと思ったのですが、違うのです。環境を守るために、山の中に美術館をつくったのです」と、若い女性の案内係は笑って応えた。

 これも安藤忠雄の設計である。ここを見たさに外国からも来客があると聞く。とくに何も知らない人間にとってジェームズ・タレルの「アフラム、ペール、ブルー」のスペース(部屋)は驚きである。前方の青色の壁(一定の距離までしか近寄れない)を見て、振り向くと、それまで白い壁が黄色に見える。目の機能の不思議さである。

 このあと、本村エリアに向かった。ここのプロジェクトもベネッセが管理、運営している。角屋、護王神社、南寺に現代アートがある。「きんざ」だけは予約が必要で、見られる日も限られている。圧巻は南寺で、安藤忠雄が設計した木造の建物だ。彼の多くは打ち放しのコンクリートむき出しが特徴的であるが、ここは少し、趣が違う。

角屋にある宮島達雄の作品である】

 香川の善通寺に似た暗闇を経験した。向こうは死後の世界である。こちらはジェームズ・タレルの暗闇の空間である。真っ暗な空間に案内してくれる。そこでしばらく腰をおろしていると、前方がややグレイのスクリーンの壁が見え出し、暗闇から解放されるという仕掛けである。不思議な感覚を体験した。

 本村からホテルのバスで宮ノ浦に出て、13時55分の小型船で宇野港へ引き返した。岡山で友人のパキスタン人に会って、インド料理を食しながら語り合った。有意義なひと時だった。帰宅は11時近くになった。

 彼は私と同じ年齢でいま、嘱託で岡山の企業に勤めている。近く、アメリカのパスポートを得るため、アメリカに滞在して、大学で勉強して好きな道に再チャレンジするという。そうすれば、日本の永住権と合わせて、世界中を自由に動き回れるという。いまの年金でも母国、パキスタンに住めば、お手伝いと運転手付の豪邸に住めるので、最後はそうなるかもと、数ヶ国語を話せ、書ける国際人の第二の人生はうらやましいかぎりである。




 
5月14日(月)直島 日記1



  【ミュージアム・レストランから見た夕日】

直島(なおしま)、ある時、芸術の島だと聞いた。そのひと言に魅かれて出かける気になった。その人は2回も続けて行ったという。それほど、すばらしいのかと、ますます行きたくなった。天気予報とにらめっこして14日から15日に決めた。

 現地で見聞だけの印象を記す。その前に、役場のHPから沿革ついて抜粋しておきたい。

「直島(なおしま)」という地名は、保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐へ配流される途中、この島に立ち寄られたとき、島民の純真素朴さを賞して命名されたと伝えられています。

 徳川時代には、幕府の天領(直轄地)となり、瀬戸内海の海上交通の要衝を占め、海運業や製塩業の島として栄えました。大正6年になると三菱鉱業、現在の三菱マテリアル樺シ島製錬所が設立され、以来、島は飛躍的な発展を遂げてきました。さらに、平成元年には、福武書店、現潟xネッセコーポレーションが直島文化村構想の一環として国際キャンプ場をオープン。その3年後にはベネッセハウスを開設するなど、文化性の高い島としても発展してきています。


 明治23年5月に直島村となり、昭和29年4月1日、町制の施行により直島町となり、現在に至っています。直島町は、高松市の北方13キロメートル、岡山県玉野市の南方3キロメートルの備讃瀬戸最狭部に位置する大小27の島々からなる群島です。直島はその中央部にあり東西2キロメートル、南北5キロメートル、周囲16キロメートルで、全島老化した花崗岩とその風化土に覆われる丘陵性の島で、平地は少なく地味で乏しいが、曲折の多い海岸線は内海特有の白砂青松の自然美を形づくっています。

この島は香川県の行政区分に属する。ここ数年、過疎化が進み、人口も7,000人ほどから3,0004,000人に減ってきた。年寄りの多い町となった。

ここには三菱マテリアルが銅をはじめ非鉄金属の製錬を行い、90年の歴史があるという。また、産業廃棄物の中間処理工場があって、いまでは直島を訪れる人たちに見学先としてオープンにしている。

90年前、日本の近代化がはじまるころ、銅の製錬工場を設置する場所として、僻地であった直島に三菱が目をつけたと考えられる。

宮ノ浦港から見る小高い山が剥げている。「どうしてですか?」と、海の駅の案内所の女性が食事ができるうどん屋「山本うどん店が手打ちでおいしいですよ」と、郵便局へ行くついでがあるので案内してくれた。その道すがらたずねた。(適当なレストランは宮ノ浦周辺にはない)

「以前、山火事があったのと、製錬所の公害の影響ではないかと聞いています」ということだった。恐らく、環境に世間がうるさくないころは、排ガスも規制がほとんどなかったのだろう、と想像できる。

一方で芸術の町として誘引したベネッセアートサイト(ベネッセハウス)のマイクロバス運転手は、元三菱マテリアルの社員だけに、「この町が比較的、裕福なのは三菱のおかげですよ」というように、島で見る家々は黒瓦の大きな日本家屋が多い。

どちらの見方も正しいだろうと思う。

そういう島をベネッセがメセナ事業の一環として買収したのである。岡山に本拠をもつベネッセの創業者は倉敷の大原美術館や大原一族の思想を心服していた。ベネッセの創業者が急逝したあと、長男が引き継ぎ、メセナ思想も継承している。

おそらく当時は、島の土地を二束三文で買ったのではないかと思われる。ベネッセアートサイトを通る道路も私有地で宿泊客か、関係者のクルマしか通れない。島のかなりの部分がベネッセの私有地になっている。

ここに現代アートの作品と建築家、安藤忠雄が設計した建物を配して芸術の島として脚光を浴びた。

本村エリアで会った島のお年寄りが「直島へ来られて満足ですか?」と聞いてきた。「わしらも無料で見せてもらったが、さっぱりわからん」と、言う。「確かに、現代芸術は難しいですね」と、笑う。

【海に浮かぶ海草も芸術的で美しい】

(続く)


●5月13日(日)直島準備

 直島旅行の準備で、インターネットで情報集めをした。

●5月12日(土)フラワーウオッチング

 この日、枚岡の自然に親しむ会主催のフラワーウオッチングに参加した。スタッフでリーダー役の人は、実に多くの野草花の名前を知っている。実際に咲いている場所を特定できるので、参加者は楽しめる。
 野草花の種類はものすごい数だと思うが、この日も配布された用紙に載っていた名前が40種類、そのほかのも含めると60〜70種類はあった。しかも、聞きなれない名前が多いので、頭に入らない。参加者の多くは、その一つひとつをメモしている。
 これも認知症の予防には役立つだろう。ただ、植物学の専門家ではないので、全体のストリーの組み立てはできない。名前と実物を見て、楽しむというものだ。

 その道中の会話で耳にしたことが面白い。日本の3大美声の野鳥は、コマドリ、ウグイス、オールリだという。ウグイス以外は知らないので、保証はできないが・・・。

 実のなる木も、実をつけない年がある。これは動物や野鳥が急速に繁殖しないようにしているからだという。あまり数が増えると、植物の方が食い荒らされるので、防衛のための策だというが、本当のような気もするが、定かではない。

 このフラワーウオッチングの前に、コンテストに出す写真を午前7時前に枚岡神社へ行って撮影した。山からのぼってくる朝日を利用するため、タイミングを狙っての撮影である。2回目だったが、まだ満足できない。3回目に挑戦するつもりである。

 ツアーのパンフレットをいくつか取り寄せた。そのなかの山と渓谷社と関係が深いと思われる「アルパインツアーサービス社」のツアーは山に特化したツアーだけに、しっかりしたものだという印象を受けた。ただ、シニアには相当、きつい登山コースが多い。
 知らない山、高い山は危険なので、ガイド付のツアーでないと無理だと思っている。


●5月11日(金)独立事務所

 この日、夕方、放送会社退任後、独立、事務所(株式会社)を開設した友人の女史を訪ねた。先に行われた事務所開きに参加できなかったので、この日の訪問となった。

 京都の一等地にかなりのスペースをもつ事務所であった。すでにオープンから10日ほど経っていたので、テーブル等は整っていた。女史の志に賛同した二人のメンバーも加わり、本格始動の構えであった。
 話からいろんな可能性が感じられた。
 この英断をなんとか成功するよう、影ながら応援していきたい。

●5月10日(木)第2回OYAJIサミット

 さる2月24日、第2回OYAJIサミットが京都で開かれましたことは、すでに2月の日記に掲載しております。そのときのスピーチの原稿がまとまりましたので、ここに再録します。
 これはある中小企業の若きN社長がバブル時代、大躍進をしましたが、バブル崩壊後、倒産、辛酸をなめながらも不死鳥のごとく見事によみがえりました。その感謝の意味を込めてN社長が開いた会合です。

 ◎まずは、編集後記からお読みください。

 原稿にまとめるため、ICコーダーを聞きなおしましたが、これほど皆さんが笑っている会合に改めて感心しました。聞きながら吹き出す始末で、原稿にうまくまとめられず、失礼な部分もあると思います。

 基調講演をされたA氏の「いま、メーカーの現場力が衰えていることが、このところの欠陥商品の原因です。それは経営者がデジタル思考で従業員を捉え、マニュアル手法でモノづくりを考えたからです。人の心はアナログであることを忘れたらモノづくりは失敗します」という内容に感銘を受けました。

 また、Y氏の生産性と安全性の両立がこれからの時代大事だと、現場で働く人たちの健康が維持される生産技術を追求したいというお話にホッとする温かいものを感じました。

 他の人たちのスピーチも個性的で含蓄があって、ほのぼのとした気分になったのは、わたし一人だけではないと思います。

 主宰者のN社長が「使命感をもっていれば、少々のことではへこたれることはない」という思いのお話に、将来の夢の実現を感じました。また、あの困難な状況からすばらいしいファミリーのみなさまが立派に育ち参加されたことに同席した一人として大変、うれしく思いました。さらに王先生の屋久島の水墨画が、この会の品格を最高のものにしてくださいました。日中の架け橋になってのご活躍をお祈りします。

最後になりましたが、この会のためご尽力されたP社のスタッフの方々に改めて御礼申し上げます。

【基調講演】A氏

テーマは「書を捨て現場へ出よう」ということで、日本のメーカーでは現場の生産革新が進められています。その代表例がトヨタ、キャノンなどです。今回の話は生産革新とコストについて、M電器のモノづくり大学で話したものをまとめたものです。

生産革新はまず1950年代のベルトコンベアにはじまり、自動化が進むのです。プラザ合意というエッポックメーキングのできごとがありました。その後、アジア各国の台頭がおこってきたのです。そして中国が開放経済に踏み切り国際市場に参入してきて決定的な影響を与えました。「ジャパン・アズ・NO.1」と言われた日本のモノづくりが危機に瀕してきました。これがバブルの崩壊です。巨大な固定費、固定資産を抱え、戦前の大艦巨砲時代のように終焉を迎えたのです。

そこで生産技術革新が叫ばれる時代になったのです。それはグローバル時代に対応したもので、軽くて、速くて、短くて俊敏なものが求められるようになりました。こういうモノづくりを目指していこうと各メーカーが改善に取り組んできました。

軽い固定費、軽い間接費が大事で速く、短い期間にモノづくりすることに変わってきました。短いということは例えば売り場に直結する、卸機能が不要で、いかに俊敏に対応するかが肝要ということです。商品の不良問題でもそうですが、松下のファンヒータ事故も俊敏な対応が求められました。

生産革新というのは、経営理念がまずあって、問題意識、危機感をもって全従業員が自分のものとして受け入れることが肝要で、これを総称して私は現場力とよんでいます。

その事例として現場研究会をつくって、もけるための仕組みをもう一度つくろうということで取り組んだのです。モノづくりで大事なことは、流れであって、淀みをつくらないことです。

プロジェクトでA商品について単純なモノづくりの事例を取り上げ、手順として改善点を洗い出し、その目標、計画を立て、チェックするなど、いわゆるPlan Do Action―このサイクルを繰り返しながら行うのです。

ソウフトIEの手法を駆使して取組んだのです。目標を明確にして絵で描いてみんなに見えるようにしました。改善案は5W1H、私は2Hといって、ハウ・マッチを加え、つまりいくらかかるかが大事だと教えました。

工場には8時間、16時間、24時間工程が混在していますが、停留することは在庫になることを忘れてはならないのです。在庫はお金です。工場の中にお金が滞留することを意味するのです。絵で描くと、悪さ加減が目で見えるようになります。

大きなプロジェクトでも3ヶ月単位で決めなければなりません。生産設備も大工さんでつくれるものがあるわけで、問題はキャシュフローが大事だということです。

軽薄短小は、戦艦大和でなく、駆逐艦をつくるということです。S社のコンベアは鉄板であったが、M電器のコンベアはアルミで、ここにコストの差が出るのです。

工場は搬送など形の見えないところにカネをかけています。だから人の動く量を最小化することが大事です。設備の検討案の中で工程数を減らすようにするのです。設備で専用機械を購入してつくったのですが、同じものが市販であるのです。現場技術者は設備をつくることが自己目的になりがちです。だから高価な設備をつくりたがるのです。

市場は計画経済でないので、たえず変動します。だから全天候型の設備でロスが出ないようにして最大の利益を確保しなければなりません。このためムダを徹底的に省くことです。

在庫、モノの流れ、人の流れを見えるようにすることです。同じ工程でも見た目はきれいでも、大変なロスを生じる場合があります。ところがこれをライン化して生産量に応じて変幻自在に変えると、ロスがなくなります。

工程で間詰が大事で、腕と腕が触れるぐらいの距離が一番いいのです。また仕掛も在庫ですので、それをなくすことで生産性が上がります。自動倉庫を自慢する時代がありましたが、これはものすごいロスです。いまは倉庫があること事態が恥ずかしいのです。

Sとは、整理、整頓、清潔、清掃、しつけです。私は清掃を重要視していまして、工場長以下、全員が手で雑巾がけする、これによって意識が変わることが大事です。目標を決めて自分たちで決めてやることです。

結局、生産革新は人の問題です。これまで企業は大々的にリストラをやり、格差が生じ現場力が衰えたのです。これは経営者が人を工数扱いし、マニュアル与えたらモノができるという考えが広がったからだす。人が改善、モノづくりを支えているのです。世の中はデジタルですが、人の心はアナログだということです。

人は常に他人に理解されることを望み、それがモチベーションを上げるのです。人は化粧、服装、しぐさなどあらゆる表現で情報発信しているのです。それを的確に掴まなければなりません。人は近寄り過ぎてもいかんが、離れるのもいかんのです。人の付き合いはほどほどの距離が大事だと思います。

リーダーシップは決断力、勇気、創造力などいろいろありますが、私はコンバットのサンダース軍曹が理想で、なかでも使命感が一番、大事だと考えます。現場第一線のリーダーは使命感を持つことが大事です。カギは現場にあります。

以上

【水墨画】中国人画家・王江子氏

王氏の水墨画に惚れたN長夫人が「屋久島の絵」(幅1.5m×高さ1m)を購入、その披露も兼ねて東京からOYAJIサミットの会場に足を運ばれた。

出席者からは水墨画を見るなり「すばらしい」という感嘆の声が上がった。王氏は北京美術大学を卒業後、来日、日本で活動している。薬師寺、姫路城のほか、100mの巨大水墨を描いている。NHKでも取り上げられ、反響を呼んでいる。

「屋久島はたいへんすばらしいところです。日本の景色は中国のように岩山でごつごつしておらず、やさしく女性的です。中国も南の方にいけば、似た景色もありますが、わたくしのいた北京周辺は違います。松の木も中国の気候が厳しいので、日本の松のように優しくないです。やはり気候によって松も変わります。学生時代、雲南省にいましたが、屋久島の森に入ってなつかしく思い出しました。今回の絵は屋久島の森で見た風景をいくつかイメージしながら描いたものです。実は来年2月にウイーンの森美術館で個展を開くのに合わせて大作を描きますが、その試作となる絵です」

事務局のM女史が宮本繁樹さん(NPO法人Will国際文化交流研究所専務理事)から「水墨画のピカソがいる」と紹介されて一目で感動して購入したことから縁ができたということです。

【5分間スピーチ】

今回のテーマはチャレンジです。みなさまこれからどういう人生を歩まれよとしているのか話していただきたいと思います。(司会:M女史)
 
 ◎S氏
:Gキャャピタルリーシング株式会社

 設備関係の仕事をしています。今年のチャレンジは仕事以外では、感性を磨きたいと思っています。中学生のころ、絵画の点数が悪く、ここらで絵に挑戦しようと、今日は王先生もおられるので水墨画も考えたのですが、無理だと思い、美術館めぐりをすることにしました。
 
 ◎
M氏:A株式会社 代表取締役

32歳ですが、昨年、事業継承で社長になりました。小さな会社ですが、人前ではすばらしい会社を引き継ぎましたと言うようにしております。チャレンジはいい会社にすることで、今年12月に、N社長から電話をいただき仕事をさせてもらいました。
 個人的には3人目の子供にチャレンジして少子化対策に貢献したいと考えています。
 
  N氏:THE現場 代表

 CDをかけていただけますか。(なつかしい映像で自分史を綴られ、みなさん興味深げに観ておられました)私は基調講演されたAさんより、1年先輩で、この1年の差は大きく、いまでも「Aくん」と呼んでいます。

私はモノづくりを進化させたと自負しています。チャレンジは覚悟すること、それも前向きに諦めることなく、悟りの境地に達することです。定年後3年目ですが、ニート族を救済するためにも税金を払える人を一人でも多くつくりたいと思っています。

定年後の4つの思い

1.半分働き、自分のために使う

2.元いたM電器マン以外の人とも付き合う

3.日本をもう一度じっくりあじわいたい

4.惚れた女房に惚れさせたい(これが一番難しい)

 A氏:Y電機株式会社 常務取締役

 私のチャレンジは薬を飲まないで健康を維持しようと思っています。毎日、血液検査をしながら健康チェックをしています。健康はもちろん、仕事でも鼻薬を使わないのです。

 ある本で日本は「和の国」と言われたそうですが、それが西に伝わり、西の端では楽しいという意味の「わくわく」となったそうです。これからもわくわくしながらスポーツも、仕事も、遊びもしたいと思っています。

 王 子江氏:水墨画家

 昭和33年生まれで、45歳になります。日本に来て20年です。50歳からいまの日本の時代をテーマに描きたいと思っています。
 
  E氏:株式会社E 代表取締役

 団塊の世代で、昭和23年生まれです。54歳の時に、会社を辞めて独立しました。辞めてよかったと思っています。

 これまでチャレンジし過ぎ、最近、少々疲れ気味ですので、チャレンジしないことにチャレンジしようと思っています。次からつぎへ開発を進めてきて、いろいろ部品などをつくって行き詰っています。

エラメル線の被覆部分を剥がすには、機械か薬品、いずれかしかないと思われていますが、手で簡単にはく離する方法を考えました。興味ある方には教えます。

 開発は簡単だけど、商品化は難しい。カエルがミルクの入ったバケツで溺れそうになったとき、もがき続けていたら、やがてミルクはチーズに変わって助かるのです。人間ももがき続ければ、道は開けると思います。

  岡田 清治:ジャーナリスト

認知症にならないようにPCに励んでいます。

 ◎基調講演の:M社 OB

 ニュースを見ていて、今の自分は別世界にいる感じです。これではいかんと、これからもなにか仕事をしようと思っています。

 M女史:P社役員、会社のHPが工事中ですが、現在、リニューアルしています。

 ◎N氏:P社社長の息子

 入社2年目、ゲートカット機に取り組んでいます。何事にもチャレンジしていきます。

 ◎:H電機株式会社

 P社さんのお力を借りて、画期的な製品販売に力を入れていきたい。

 K氏:N情報専門学校 教務部長

 1970年にM工業高校でN社長を受け持って以来、37年間お付き合いしております。元気なうちは生涯一教員でいたいと思っております。

  Y氏:フリージャナリスト

 昭和9年生まれで、73歳になりますので、いわば人生の埒外におります。したがいましてチャレンジなんて、とんでもないことです。ゆったりと、限りなく美しい夕日に近づくたそがれ人生を歩んでいきます。
 先ほどお話をされましたAさまに拙著、M電器の本を贈呈させていただきます。

 X氏:王氏の知人

 王先生と一緒に仕事をしています。先ほど披露されました屋久島の絵につきまして、私も1週間、王先生と屋久島の特別区(年間50人しか入れない場所)で描いたものです。王先生はアートジャンリストとして活躍されると思います。
 現在、王先生の美術館建設のプロジェクトに参画しています。
 
  N氏:P社社長の息子

小学5年頃からP社でアルバイトしながら働いています。いま、大学生ですが、勉強がんばります。

 ◎ N社長夫人

 王先生に絵を描いていただき感動しています。

 ◎N氏:N税理士事務所 所長

私は松下幸之助氏が寄贈され、戦後、大阪府の機関になりました府立総合産業開発研究所に勤務、N社長と知り合いました。その後、空白の時がありましたが、経営革新のアドバイザーとして再会しました。

 定年後、税理士事務所を運営、経験を生かしながら中小企業の応援をしたいと思っています。また、ベトナムに行って、向こうから日本を見つめたいと計画しています。

 :株式会社S

 メーカーから転出、射出成形機の販売する会社に変わりました。お腹の贅肉を落とすことにチャレンジします。

  S氏:H伝導機株式会社 取締役営業本部長

 岸和田の出身です。岸和田のだんじりの上には大工の家の者しかのぼれません。父が大工ですから命がけでのぼりました。

 いま、10社目の会社です。これまで9社はすべてメーカーでした。そこでは営業失格の烙印をおされましたが、いま、商社で営業の提案力に挑戦しています。負け犬になるな、が親父の教えです。

  H氏:P社

5年、10年後のP社を見てください。

  :K製作所生産技術部長

本籍がM電器で、現住所がK製作所です。生涯現役の生産技術一筋でいきたい。世界ナンバー1の設備をつくることにチャレンジしたいです。

  Y氏:S株式会社 センサー事業部副事業部長

生産技術の仕事をずっとやってきました。ただ、生産性を上げるだけではダメで、安全性がないがしろにされています。これからは生産性と安全性が両立する考えを広めていくのが夢です。

  K氏:H電機株式会社 専務

 96歳の母親がなくなって、いま、女房と二人くらしです。ほとんど会話がないものですから、ペット犬を買いました。犬のおかげで会話をするようになり、子供らも犬をみるために月1回だったところ、2,3回来るようになりました。

 一人になったら何もできないので、辻調理学校で男の料理を学びたいと思っています。 商社ですが、現場を大切にする部下を育てたい。

 ◎N:P社 社長

捏造されたTV番組ですが、朝、夕に納豆を食べ、柔らか頭で使命感をしっかりもっておれば、やっていけると思います。

 N氏:株式会社K 顧問

 50歳になって、健康について意識しています。介護も寝込むこともなく、あと50年生きたいと考えています。医者からはアルコール中毒と診断され、毎日、飲む酒を三分の一に減らしています。いままで3,4杯飲んでいた焼酎1杯のアルコール量を4つのコップに入れお湯を注ぐものですから、お湯をのんでいるようなものです。これが対策です。

 もう一つ、和食は塩分が多いので、パン食に切り替えました。


●5月9日(水)繁昌亭

 夕方、大阪天満宮に開設された寄席小屋、繁昌亭に初めてでかけた。オープン以来、人気があると聞く。この日も平日で連休明けの週の半ばであったが、8割方席は埋まっていた。
 東京・上野の鈴本と比較したら気の毒だが、かなり建物は見劣りはする。しかし、これまで落語専門の小屋がなかっただけに、関係者の熱意はたいしたものである。

 この日の出し物は、露の一門の「西遊記」からとった噺で、師匠の露の五郎兵衛の創作落語も披露された。露の五郎兵衛には、10数年前、タニマチ連中と座敷でお会いしたことがあったが、お年をとられた感じがした。座布団に座るのが難しいので、床几にかけて話した。声も明白でない。

 それにしても一門に娘の露のききょう、孫弟子の露の団姫(まるこ)という女性の落語家が登場したのには驚いた。はじめて女性の噺家の落語を聞いたが、シニア族の私にはいまひとつ面白くなかった。声が高いのも聴き辛かった。

 当日、配られた「兵衛べえ新聞」というチラシに露の団姫、大師匠に学ぶとして「落語会と寄席の違い」という記事があった。

 団姫:「落語会と寄席の違い」を教えてください。
 五郎兵衛「落語会は特定の客がお目当ての出演者を観に来る。反対に、寄席は不特定多数の客がお目当てなしに、前座からトリまでバトンリレーを観にくる。つまり落語会のお客ははなから特定の噺家のファンだから、よう笑うが、寄席のお客はファンやない。寄席の客にうけることが、芸人としての真の修行や」

 関西では戦後、噺家の居場所がなくなったので、噺家自ら単発で落語をする場をつくったのが、落語会のはじまりだそうだ。

●5月8日(火)単独で生駒登山

 この日は、先日、ハイキングで行ったコースを一人で登った。つつじ園までは行けたが、そのあとの奈良側コースが分からないので、縦走路を歩いた。暗峠から慈光寺、そしてあじさい園まで行き、そこから摂河泉コースを通って帰った。約4時間の所要時間。
 一人で歩くと、速いがしんどさが違う。きつい。

 テレビ会社MBSの親しい友人からメールが届いた。一献傾けながら感想を話すのを楽しみにしている。このHPをご覧になっている方もぜひ、見てください。
 
 「私が担当していますMBS「映像07」の次回作の放送のお知らせです。次回は、5月13日(日)24:30〜25:30です。次の日曜日の深夜です。
 テーマは、高次脳機能障害者の日常を追いました。脳に障害を負った人たちの知られざる悩みや支援の課題を浮き彫りにしています。
 いつもながら深夜の大変、視聴しにくい時間ですが、録画していただくなりしてご覧頂き、是非、ご批評いただければ幸いです。」


●5月7日(月)骨で聞くヘッドホーン

 この日は、知人二人をたずねた。一人はある企業のスーパーアドバイザーをつとめるYさん。
 「面白いものを見せてあげます」というメールをもらったので、約束してたずねた。
 それは「骨で聞くヘッドホーン」であった。難聴の人や騒音の激しい環境でも電話がかけられ、耳をふさぐことなく電話、ラジオ、ステレオが聞けるなど、いろいろな場面で使えるという。Y氏は「当社が総代理店となって販売することになりました。モニターとして使ってください」と、試供品一式いただいた。

 普通のヘッドホーンは鼓膜に音波を伝えるが、これは骨に振動波で音を伝えるものだ。老いてくると難聴になるので、役立ちそうである。

 「説明書」によると、
 通常どのようにして音をきいているのか?
 人間の声は声帯を振動させることで空気振動を起こしそれが声として聞こえているのです。

 「空気伝導」と「骨伝導」の違い
 空気伝導 :人間の耳は、鼓膜が音で振動するとその振動が聴覚器官に伝わり、音をきいています。これが空気伝導です。

 骨伝導 :鼓膜を振動させなくても直接聴覚器官に音を振動として送ることができます。そのため、聴覚に障害のある方はもちろん、騒音下

 騒音の激しい場所での通信に (耳を塞いでいても通信が出来るシステム)
 軍事関係 (米軍、防衛庁)
 公的機関 (消防、警察)
 工業関係 (建築、鉄工、造船)
 
 長時間の使用や、通信中でも周囲の音声を同時に聴く必要のある場所で (耳に負担をかけず周囲の音も通信の音も同時に聴き取れるシステム)
 サービス業
 コールセンター
 交通機関 

 ヘッドホンステレオで音楽を聴きながら散歩している時、クラクションが聞こえず怖い思いをした。
 カラオケのレッスンや語学学習など自分の音程や発音が正しいのか、ヘッドホンをつけたままでは確認できない。
 ヘッドホンステレオはついつい大音量になって、難聴にならないかと心配。
 耳が遠いのでテレビの音が大きくなりがち・・・。しかも、ヘッドホンをつけていると、自分の声も大きくなってしまう・・・。深夜や早朝は家族やご近所にも気を遣う。

 以上のような環境、使用例が書かれている。

 Y氏の話はいつも興味深い。ICタグで事業部も立ち上げた。「いま定期券が磁気方式からICタグに変わろうとしています。実は磁気の読み取り機は定期的に掃除をするなど、メンテ費用がかかるのです。ところが、磁気方式のICタグはかざすだけですからメンテ不要なのです。だから各鉄道会社は積極的に導入しています」という。
 回転すし屋にいくと、食べた皿の数(皿の種類が値段によって分けられている)を店員が数えるが、これが結構、時間がかかる。そこで最新の回転すし屋では、皿の裏にICタグを貼り付け、カウンターの台に置けば、瞬時に代金を表示するシステムにしているそうだ。
 ICタグは急速に拡大する気配である。

 「大手企業は自前のサーバーを所有していますが、その維持、管理はすべて専門の情報会社に預けています。役所もデーター管理を依頼、税金の通知などあらゆる郵便物を丸投げしています。こういう情報会社は水道や電気と同じで、1件ごとに課金していきます。蛇口をひねるようにコンピュータをONにすれば、あて先まで印字、封書にして郵便局まで届けるのです。」
 個人情報もこういう情報会社に握られている。

 次に原稿依頼を受けた知人をたずねた。彼は来年10月、定年という団塊の世代だ。「約6ヶ月の講習が必要ですが、日本語教師認定を取得してアジアで老後を過ごしたいと思っています」と話していた。
 定年後の人生はそれぞれが決めるしかない。第2の人生にこそ、個性が出てくる。


●5月6日(日)雨の中の写真

 生駒古道会の登山は雨で中止。一日中、雨であった。TV三昧の日となった。写真を撮る人はこの雨でも絶好の機会だと写真撮影に出かけるようだ。

 長居植物園で撮影した雨の中の写真を送ってきた。なるほど、雨の写真もいいものだと思った。

【雨の降る池に浮かぶハスの葉】



●5月5日(土)生駒山つつじハイキング

【山の斜面に植えられ、間が歩道になっている】

 「グリーガーデン ひらおか」がこの4月に民営化されて以来、一段とイベントによる集客に力を入れている。この日は、「生駒山のつつじと鶯のさえずりを楽しむハイキング」に参加した。82歳の老女を筆頭に、シニア男女、小学生3年の計30名が曇り空を気にしながら10Kmの山道を歩いた。

 ルートは枚岡公園9:30発〜豊浦橋〜枚岡展望台〜神津獄・ふれあい広場〜府民の森案内所〜つつじ園〜鳴川峠〜奈良側へ出て暗峠〜慈光寺(野鳥塚)〜摂河泉展望コース〜枚岡公園3:30着

 つつじ園は全国いたるところにあるが、山の中腹にあって山に囲まれているところは多くない。GWだけど、人はそう多くない。やはりここまでは自分の脚で登らなければならないので、なかなか観にこれないのだろう。

 集団ハイキングは話しながら登るので、疲れが少なく感じる。その上、いろいろ情報を聞けることがいい。この日知ったことは、生駒山は自然林(植林で手をかけていない)なので樹木の種類が多く、それによって野鳥の種類もも多いそうだ。駅からすぐ登山口があるのは近郊の山では、ここ生駒山だけである。新緑のエネルギーを吸うと3年寿命が延びるといわれるほど健康によい。

 スタッフのなかの女性が全国あちこちの山に登り、花の名前にも精通している元気な人がいる。彼女は私が行きたいと思っている横山岳(滋賀)、屋久島(鹿児島)、金剛山(大阪)のヤマシャクヤクの群生地について教えてくれた。彼女自身は北海道の幌尻に行くという。ここは渡渉の連続で、水が多くなかなか行けないが、今年は可能だという。

 慈光寺の裏手の山に咲いているホウチャクソウ、タニキキョウのほか、道沿いに咲いていたキンラン、ギンランも教えてくれた。また、野鳥に詳しい参加者の男性も全国の山を登っていて、生駒ではエナガの巣のある場所を案内してくれた。

  
【写真左がホウチャクソウ、右がタニキキョウ】

 グリーンガーデンに戻って風呂で汗を流し、生ビールを飲んだ。そのとき、同じ席についた放出から初めて参加した紳士(72歳)も全国の山に登っている話をしてくれた。この人は60歳から山登りをはじめたそうだ。
 明日は同じリーダーが主宰する古道会の生駒登山(13Km)にも参加する予定。いよいよ山登りに力が入ってきた。



●5月4日(金)GW後半

 GWの後半である。シニア人間にとって、GWはできるだけ行楽地を避ける。
 早朝、原稿執筆のあと、部屋の片付け、午後から近くの公園から生駒の中腹あたりまで散策。そのあと、花の肥料を買いにコーナンへ行く。

 公園の駐車場はほぼ満車であったが、生駒山へ登る人は少ない。公園で子供サービスの若いカップルが目立った。


●5月3日(木)蔵書点検体験&とろちゅー
 この日は、以前に予約申し込みしておいた府立中央図書館のイベントにでかけた。最近、図書館も集客に力を入れている。

 まず蔵書点検体験だが、これは毎年6月に図書館の職員で9日間かけて蔵書を点検する。今年初めて書架と地下倉庫を点検する作業を経験してもらい、図書館をより知ってもらいたいという試みである。午前と午後の2回、約1時間、それぞれ定員20名である。子供づれの若いお母さんが大半である。

 私は地下倉庫(100m四方の大きさ)の様子を見たかったので参加した。この図書館の蔵書は170万冊で、キャパシティとしてはこの倍はあるそうだ。スーパーで用いるPOTで本に貼ってあるバーコードを読み取って、一冊ずつ確認するのである。一人一日の平均処理数は約7,000冊だという。昨年、不明点数が全体の0.25%、304冊あったそうだ。

 いまも一部、和装書は曝書(ばくしょ)といって、虫干しをしているという。この時、蔵書点検したので、現在の図書館で蔵書点検を曝書という図書館もあるそうだ。図書館の維持、管理、運営もなかなk大変だという印象であった。

 その図書館が隣接のホールで大阪センチュリー交響楽団メンバーによる「とろちゅー」と名付けたトロンボーンとチューバーのアンサンブルを催した。普段、メンバーはクラシックの演奏をやるが、この日はジャズ、ラテン音楽など親しみのある庶民的な曲の演奏会なので、音楽音痴の私にちょうどいいと、こちらも申し込んでおいたのだ。
 ホールは子供づれのお母さん、シニア、学生で満員だった。トロンボーン演奏者3人のうち1人がリーダーとなって司会を兼ねながらの奮闘ぶりであった。子供がうるさいのではないかと、心配したが、子供も大人も引きつける魅力的な演出であった。充分、満たされたひと時であった。
 
 「日本一の図書館を目指します」と図書館の担当者は挨拶していたが、ほんまに変わってきた思いがする。これすべて無料である。大阪府も苦しい予算のなかでやるからには、府民に評価してもらわないと、批判を浴びるのだろう。図書館愛好家の私としてはエールを送りたい。



●5月2日(水)赤い藤

 友人から赤い色の藤の花写真を送ってきた。岡山の和気藤公園に日帰りバスツアーで行ってきたそうだ。藤は5部咲きだったが、静岡県豊田町から贈られた珍しい赤い藤があったという。
 いまは藤の見ごろだといわれるが、GW明けが一番いいのではないかと思う。


【和気藤公園の赤い藤の花】


●5月1日(火)ネットカフェで暮らす

 昨日、久しぶりに旧友と一献傾けた。ついつい飲みすぎたが、楽しい一時であった。やはり団塊の世代の嘱託希望者が多いようだ。できたら年金支給までは同じ仕事を続けた方がいいのだろう。
 これから人手不足になるのだから、健康で希望者にはできるだけ仕事をしてもらった方が、会社も本人も幸せになるにちがいない。

 東京の友人から電話があった。「自分の周囲にはおらないが、ネットカフェで暮らす若者が増えているようだ」という。これが格差社会の一断面であろうか。

 屋久島の資料入手に鹿児島県大阪事務所に行った。現地ツアーの情報は入手できなかった。観光協会に聞けば分かるという説明だった。その足でJTBに行って聞くと、エコツアー商品があることが分かった。有名な縄文杉までは朝の5時に出て夕方6時に帰るというコースで片道11Kmだという。このコースはシニアには厳しいような気がする。高低差700mだが、結構、急勾配のようだ。

 以前、沢登りしていた人たちが鉄砲水で岩に頭をぶつけて死亡する事故もあったそうだ。
 JTBで「先輩が先日、屋久島へ行ったのですが、ものすごい雨だったそうです」ということで、この季節、屋久島は雨を覚悟しなけばならない。熊本の義兄を誘っているが、果たして実現できるか、わからない。

【今月の目次】
5月1日(火)ネットカフェで暮らす
5月2日(水)赤い藤
5月3日(木)蔵書点検体験&とろちゅー
5月4日(金)GW後半
5月5日(日)生駒山つつじハイキング
5月6日(日)雨の中の写真
5月7日(月)骨で聞くヘッドホーン
5月8日(火)単独で生駒登山
5月9日(水)繁昌亭
5月10日(木)第2回OYAJIサミット
5月11日(金)独立事務所
5月12日(土)フラワーウオッチング
5月13日(日)直島準備
5月14日(月)直島 日記1
5月15日(火)直島 日記2
5月16日(水)糖質ゼロ
5月17日(木)「映像’07」を観る
5月18日(金)フラッシュメモリ
5月19日(土)舞妓のアルバイト
5月20日(日)花博記念公園
5月21日(月)写真の面白さ
5月22日(火)横山岳登山日記T
5月23日(水)山岳登山日記U(松井選手も愛する清泉閣に泊まる)
5月24日(木)カメラの故障
5月25日(金)神戸大学海事科学部訪問
5月26日(土)上高地の野鳥
5月27日(日)蔵衛門を学ぶ
5月28日(月)金剛山へ登る
5月29日(火)漢字ばかりの社名では・・・
5月30日(水)販売店の竣工式
5月31日(木)雑記